散文

 知り合いの詩人に中てられて、少しだけ詩を書きたい気分になった。




 言葉は魔法だ。


 意味を持たない音を表す記号が、列を成して意味を形作る。

 意味を持つ記号同士が、混ざり重なって他の意味を成す。 

 そしてそれらは、時に人を突き動かし、時に人を陥れ、時に人を感動させる。

 つまり言葉はという魔法は、人の内面を、行動を、操るだけの力がある。


 僕は、人の本質は価値観の集合体だと考えている。

 そして、言葉は価値観を創り出し、伝え広める。

 だから、言葉という魔法は、人そのものを変えてしまうだけの力がある。




 僕は、物語が好きだ。


 小説でも、漫画でも、アニメでも、映画でも、ゲームでも、音楽でも、ドラマ、はあまり見ないけれど。

 その中でも、小説が一番好きだ。


 魔法を織成して、物語は紡がれる。

 混ざり気のない小説こそが、物語という大魔法を、一番美しく表している。

 勿論、言葉という魔法を、音に乗せて、絵に乗せて、映像に乗せて、体験と共にして、創り出す他の物も同様に好きなのだけれど。


 物語の中に生きる人々は、概ね、存在していない。

 物語は、在りもしない者達の経験で、人生で、生活だ。

 僕らは、存在しない者達に心を突き動かされている。

 何処にもいない誰かに、魔法を掛けられる。

 

 ふと、物語を読み、それを反芻している時、不思議に思うことがあった。

 素晴らしい物語を読んだ後の、読後感。

 あの、自分の心がここに在って、ここに無いような感覚。

 一つ、自分の価値感を増やしたという満足感。

 

 これほどの魔法を、存在しない者達に掛けられたのか、と。



 ひどく悲しくなってしまった。



 何故、彼らはこの世界に在らず、この世界に生きていないのだろうか。

 

 何故、彼女らは、閉じた時の、閉じた世界の中にしか生きられないのだろうか。


 「矢っ張りこの世界は理不尽だなあ」、と思考を放棄した。

 これ以上を考えたら、何か、帰れない場所に閉じ込められてしまうような感覚。

 本を閉じた以上、この物語は、在りもしない者達が紡いだ、何処にも無かった筈のものなのだから。

 僕が、哀れんだとて、それは傲慢でしかないのだろうし、全く以って意味の無い杞憂なのだから。

 そう言い聞かせて、眠りに就くことにした。

 


 ふと思った。

 喩え、全てが嘘だとしても、『魔法に掛けられた』ということだけは真実なのだ、と。



 

 ならば、僕が覚えている限りは、彼らは言葉という魔法を以って、間接的に存在しているのかもしれない。

 そう考えたら少しだけ嬉しくなった。


 

 夜。未だ夢におちていなくとも、既に心はここにはなかった。

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